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条件反射制御法

 

3つの条件反射

 人間には,①遺伝子に組み込まれた生来的機能としての無条件反射(例:梅干しが口の中に入り,舌の味蕾を刺激すると唾液が出る)と,②生来的に備わったものではないが,無条件反射を基に学習することにより成立する機能である第一信号系条件反射(例:梅干しを反復して摂取したことがある者は,梅干しを見ただけで,口に入れなくても唾液が出るようになる。このとき,唾液を出そうと思って出しているわけではなく,また,唾液を出さないでおこうと思っても止めることができない)と,③評価,予測,目標設定,計画,決断等を行う機能である第二信号系条件反射(人間のみが有する機能であり,思考のこと。例:高血圧だから,梅干しを食べるのは止めようと考えること。)の3つの条件反射が備わっています。

 

いわゆる依存症は「第一信号系条件反射」が形成された状態

 薬物を摂取し,それによって快感を得る経験を繰り返すと,その反復のたびに,②の第一信号系条件反射が徐々に形成され強化されていき,最終的には強固な条件反射を形成してしまいます。

 それは,例えて言えば,梅干しを食べ続けると,梅干しを見ただけで唾液が出るようになるのと同様です。これは,梅干しを食べる習慣がある人にだけ形成される第一信号系条件反射であり,梅干しを食べる習慣がない人(例えば,外国人)の場合は,梅干しを見ても唾液は出てきません。別の例を挙げると,ボクサーが相手のパンチが出た瞬間に考えなくても身体を動かして避けることができたり,車を運転して通勤する人が考えごとをしていても自動制御のようにいつもの道を運転できるのも,第一信号系条件反射が働いているからです。

 第一信号系条件反射は,本来,生物が反復・継続して行う摂食,生殖,保護といった生存に役立つ行動を行って生理的報酬を得た際に,その直前の行動を強化するために備わった能力であり,動物的な古い脳の部分で司る機能です。それ故に,一旦第一信号系条件反射が確立した場合には,条件付けられた刺激があると,ほとんど自動的に連鎖行動を完遂してしまい,強固な反面,フレキシビリティがないことを特徴としています。従って,一旦刺激が入り連鎖行動が進行しはじめると,確立した第一信号系条件反射を止めることは容易ではありません。

 他方,人間的な新しい脳の部分で司る機能である「思考」は,様々な社会環境や状況に適応するために備わった人間独自の機能であり,とても柔軟でフレキシビリティがある反面,容易に変化するという性質があります。例えば,思考で「たばこは身体に悪いから止めよう」と決意したとしても,次の日に辛い出来事があると「今日はこんな特別なことがあたのだからたばこを吸っても許されるだろう」とか「我慢する方がかえって身体に悪いはずだ」といった別の思考が沸き,とても容易に思考は変化するのです。

 特定の生理的報酬に強く関連づけられた第一信号系条件反射が形成されてしまうと,第一信号系条件反射は思考よりも強力かつ優勢でありフレキシビリティがないのに対し,それを止めようと考える思考(第二信号系条件反射)は劣勢でフレキシブルであるため,いくら頭で止めようとしても止められない,すなわち「わかっちゃいるけど,止められない」という状態に陥ってしまいます。この状態が,覚せい剤取締法違反等の違法薬物摂取を繰り返す人や,違法行為でなくてもたばこやギャンブルなどを止めたいのに止められない人の状態です。

 

平井慎二医師が考案した「条件反射制御法」

 このような第一信号系条件反射が確立してしまった嗜癖行動を止めるための方法として,下総精神医療センターの平井慎二医師が考案したのが,「条件反射制御法」という治療法です。

 平井医師は,薬物依存者の治療にあたっていたある時,ひとりの覚せい剤依存の患者から,「同じ病院に入院している○○は売人で,あの人からいつも覚せい剤を買っていたので,あの人の顔を見るとウンコしたくなる」という話を聞きました。興味深く思い,他の患者にも覚せい剤と大便の関係についてきいてみると,「仲間が何人か集まって覚せい剤を使うときは,みんなウンコをするのでトイレの順番争いになる」とか,「覚せい剤を使うと確かにウンコがしたくなる」という話が聞かれ,覚せい剤依存の患者の間では覚せい剤使用時に大便をしたくなるのは常識のようでした。それと共に,覚せい剤を使用する前でも,「覚せい剤を買ったり売人の顔を見るだけで,確かにウンコがしたくなる」という話も聞かれました。

 以上の話から平井医師は,覚せい剤使用後に大便をしたくなるのは覚せい剤の薬理作用で大腸の蠕動が促進されるからだと思われるが,覚せい剤を実際に使用しなくても,覚せい剤を入手し使用することを思い浮かべただけで大便をしたくなるのは,薬理作用そのものではなく,多数回の覚せい剤使用によって第一信号系条件反射が確立し,覚せい剤使用直前の状況と大腸の蠕動促進という神経作用が条件づけられているからだと考えるに至りました。そして,覚せい剤依存症者が覚せい剤を使用することを思い立ち,売人に連絡を取り,外出して,売人から覚せい剤を購入して,使用し摂取するという一連の行動も,実は第一信号系条件反射による強い条件付けと行動制御が働いているのではないかと考えるようになったのです。

 その後,平井医師は,条件反射関係の文献にあたったり,自らが毎日ワインを飲んでおり意思の力ではなかなかこの習慣を止められない,という事象を題材に自らを実験台にするなどして研究し,条件反射制御法を開発したのです。

 

条件反射制御法のメソッド

①キーワード・アクション

 条件反射制御法では,まず,第一信号系条件反射が作動してしまうのを中断するための動作(キーワード・アクション)を設定して,中断のための新たな第一信号系条件反射を成立させる作業を行います。これが「キーワード・アクションのステージ」と呼ばれる段階です。

 例えば,「私は,今,覚せい剤をやれない」と言いながら,利き手の手の指を順に折っていった後に,自分の好きな動作(例:髪の毛を触る。鼻をこする。あごを触る等)をして,その動作をした後,実際に覚せい剤を使えない時間を過ごすことを繰り返します(20分以上の間隔をあけて,1日20回以上行う)。

 そうすることで,このキーワード・アクションを行うと,その後は覚せい剤を使えない時間が続くのだという条件反射を成立させるのです。このキーワード・アクションの第一信号系条件反射が充分に成立すると,覚せい剤への渇望が生じた状況でキーワード・アクションを行うと,渇望がすっと消えるという現象が起き,覚せい剤摂取に向かう第一信号系条件反射を途中で止めることが可能となります。

②疑似ステージ

 第二に,生理的報酬を得るための条件反射の最終行動を行うが,実際には生理的報酬が与えられないという体験を繰り返します。これは「疑似ステージ」と呼ばれる段階です。

 すなわち,例えば覚せい剤に対する物質使用障害者の場合は,株式会社ニプロが製造した疑似注射器(ピストンを引くと赤い血液様液体が注射器内に表れる医療用器具。覚せい剤使用者は,静脈に針が入っているか確かめるために,針を血管に刺した後,いったんピストンを引いて,血液を注射器内に逆流させてから,薬液を押しこんで覚せい剤を打つが,この偽注射器を使うと,赤い血液様のものが注射器内に表れるので,視覚的にあたかも覚せい剤を本当に打っているかのような感覚を覚える)を使って,腕に打つ真似をする「疑似摂取」や,実際に生理食塩水を使って,医師が注射を行うことを,キーワード・アクションと同様に一定の間隔を置いて繰り返します(写真)。(あぶりで使用していた患者には,砂糖やアルミホイルを使って,あぶりの真似をさせます。)

 もちろん,疑似注射器内には覚せい剤は入っていないため,自己が過去に取っていた薬物摂取と同じ行動をとっても,身体には「快感」という生理的報酬がないという経験が積み重ねられていくことになります。これらの経験を百回単位で繰り返すうちに,次第に,確立されていた強固な第一信号系条件反射が弱められ,細ってゆきます。すると,以前は覚せい剤摂取に強固に関連づけられていた刺激にさらされても,覚せい剤への渇望を感じなくなり,薬物を再使用しなくても耐えられる状態が形成されていくのです。

③想像ステージ

 さらに,条件反射制御法では,自己が覚せい剤を使用していた際の事細かな動作や手順を記載した作文を初期に作成しておき,キーワード・アクションや疑似摂取によりある程度第一信号系条件反射が弱められコントロールできるようになった時期に,あえてその作文を読んで,覚せい剤使用時の記憶をありありと呼び起こすけれども,覚せい剤を使用した際の生理的報酬は得られないという,「想像摂取」を繰り返し行います。これが「想像ステージ」と呼ばれる段階です。

 この想像摂取は,疑似摂取と同様に,第一信号系条件反射を弱める効果を持つと共に,覚せい剤使用時の記憶にあえて自らをさらすことで,同じような状況に再びおかれても,覚せい剤を使用したいという渇望を抑制できるようにするという効果も期待できます。

 

患者自身が理解し主体的に治療を受けることが重要

 条件反射制御法の治療を受ける患者には,条件反射制御法の理論面についてもきちんと学習し、自分で理解することが求められます。各ステージで行うキーワード・アクション,疑似摂取,想像摂取については,行う度に回数記録票に「正」の字で回数を記録します。また,各ステージを終えると,次のステージを行うための要点についてレクチャーを受け,要点確認のテストに合格してから次のステージに進むこととなります。

 

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